アドラー心理学で、
器官劣等性
劣等感
劣等コンプレックス
てなのがあります。
劣等性 | 客観的に他者と比べ明らかに劣っていること |
劣等感 | 主観的に他者に劣っていると、自分で思ってること |
劣等コンプレックス | 劣等感を使って物事から逃げること |
で、ここからはわたしの考えです。
あっても、間違ってもいないです。考えはひとそれぞれですから。
そりゃ違うだろとか、うんうん、そうだよなとか
考えるきっかけになってくれれば幸いでございます。
器官劣等性
劣等性ってやつは、かなり頑張ってもどうにもならないことが多いと思うんです。
運動や学習の能力とか、外見(体型、目鼻立ち、顔立ち、髪質等々)とか。
これを、他人に合わせたり、優位にたつように努力しても、かなりきつい。
でも、世の中の人は大概こればっか。
特に、大人になったら年とともにどんどん劣っていく外見にばっかり時間をかけちゃう、、、、、
なんかね、もったいない気がしちゃうんですよね。。。。。
内からでてくる輝きが太陽だとしたら、外見から放つ光は電球かなぁ〜と思うんです。
内面は青天井に磨けるけど、外面はちょぼちょぼしかみがけないと思うんです。
劣等感
劣等感というと、やっぱりネガティブな言葉ですよね。でも、
他人にあって自分に足りないと思っていること
に対して発生するわけですから、その足りない部分を身につけられるように努力する、または、他のことで補完するとかすれば良いんじゃないかと思います。
つまり、
埋めるべき対象がわかるので対処が行える
状態だと思います。
あ、器官劣等性以外の部分でって意味ですが。
器官劣等性に対する劣等感は、たしかにマイナス要素が大きいと思いますので。
劣等感は「主体的」ですから、自分自身の考え1つで見方を変えることもできちゃいます。
他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられる。みたいな。
劣等感が発生する部分が、自部の足りないところってのがわかるのですから、これほど良いことはないような気がします。
ソクラテスの無知の知=私はそれを知らないということを知っている。みたいな。
AさんのXXなところ、かなわないなぁ~すごいなぁ~と思ったら、
それをモデリングしてXXができている未来の自分を頭の中で作り上げれば
他人と競争することなく自分自身を高めることができるんじゃないかと思います。
また、それに近づくために今からできる小さな一歩が何かを考えたりもできると思います。
劣等コンプレックス
なんでもそうだと思いますが、ストレス事象が発生したときは
・逃げる(文字通り逃げる、さける、見ぬふり等)
・挑む(努力、立ち向かう等)
の2つだと思います。
その時のシチュエーションによってどちらが良いかは決められませんが、器官劣等性以外の部分に対しては「挑む」が良い場合が多いんじゃないかと思っています。
劣っている部分を他のことで補完するのは「逃げる」カテゴリのような気もするので、「挑む」じゃなくてもよいのかな??
んー「挑む」カテゴリなのかな?わかんないや(^^;
ちなみアドラーが
人間の悩みはすべて対人関係の悩みである
とまで言っているように、他人に対しての劣等感を
自分に足りないもの
に置き換えると対人関係ではなくなるわけで、すなわち、悩みではなくなる可能性を秘めているんじゃないかと思います。
ん?ほんとか?これも良くわかんないや・・・・
内容がへろへろになってしましましたが、結論としては
劣等感をもって自分の内面を磨け
そしたら成長できるし悩みも消えて、超ハッピー!!
ですかね?(ということにしておいてください)
先日のブロク
●2017 Top of The DanceとSoulm8のFINAL●
で書きましたが、娘2号は大きな劣等感を味わったことと思います。
が、あれからも毎日一人で黙々とダンスの練習を何時間もやっています。
本人にとってこの練習は「すっごく楽しい」らしいので、とっても良い形で劣等感を処理していて頼もしい限りです(^^;
#見習わなければ・・・・・
end